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修行して験徳を顕わす「修験道」

日本人は古来から山には神々が宿ると信じ、山の神を信仰する山岳信仰、自然崇拝に源を発した独特の民間信仰を持っていました。

「修験道(しゅげんどう)」とは山岳崇拝を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練し、仏果を得衆生済度を目的とする、出家・在家を問わない菩薩道、即身即仏を実修する日本独自の宗教です。

修験道の宗派は多数ありますが、その中でも聖護院は寛政十一年(1799)に光格天皇より「神變大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の諡号勅書※を唯一授かった役門正統の寺院で、日本で最初の修験道の宗派となった本山修験宗の総本山となっています。 (しごうちょくしょ:生前の事績への評価に基づくおくり名を授ける天皇直筆の書重要文化財)

役小角(えんのおづぬ)

七世紀頃、大和国茅原(現在の奈良県御所市)に生まれた実在の人物で、山岳修行者として「役行者(えんのぎょうじゃ)」とも呼ばれます。
 各地の霊山や寺院の開基となったという伝説が多数残されており、また山岳宗教である修験道そのものの開祖として、修験各派で尊崇されています。

役行者には寛政十一年(1799)に光格天皇より、「神變大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の諡号が聖護院において追賜されました。役行者の正統を継ぐ「役門正統」の寺院として授かった全文宸筆の諡号勅書(しごうちょくしょ)は重要文化財、また聖護院の寺宝として大切に守り伝えられています。

役行者さんのご生誕地

奈良県御所市にある役行者のご出生地には吉祥草寺という聖護院の末寺があり、役行者の産湯に使われたとされる井戸が残っています。

諡号勅書(しごうちょくしょ)

山伏のアイテム

修験道の行者は、野山に伏すことから「山伏」ともいい、験力を身に付けるために山岳での難行苦行に臨みます。
 特徴的なその装束は鈴懸という法衣で、柿渋で染めた衣や袴の裾を絞ったもの。その他、各所に着ける道具類にも、一つ一つに山での修行を助ける実用上の意味があります。

法螺貝(ほらがい)

お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法する際に、諸々の合図で使用していたことから、その音は説法の意味でもあるとされています。
法螺貝の音は山中で使用されると4km先にも届きます。

引敷(ひっしき)

山中で座るときに、ダニなどの害虫から身を守るための携帯座布団。
動物の毛皮で作られたこの引敷は、文殊菩薩が獅子に乗る姿を象るものとされています。

螺緒(かいのお)

山岳修行で岩場を上る時や、緊急時に使用するザイルです。
行者を守る結界を意味する特別な結び方をしており、解くと約12mの長さがあります。

斑蓋(はんがい)

仏の頭を覆うもので、人が身につければ桧笠(ひのきがさ)といいます。笠は母親の胎盤を、紐はへその緒を表しています。

最多角(いらたか)念珠

そろばんの玉のように角が多いことから、最多角といいます。梅の木で作られた主珠は108個あり「百八尊」、「人間の百八の煩悩」を表しています。

錫杖(しゃくじょう)

山野を行脚する時に野獣や毒蛇などを避けるために鳴らします。
輪が六輪通してあるのは、「六波羅蜜」を表しています。

宝剣(ほうけん)

不動尊が持つ剣であり、煩悩魔性を断ち切るという意味があります。
儀式で使用するためのもので、山中では「柴打ち」という片刃の剣を持ちます。

大錫杖(だいしゃくじょう)

錫杖の音で衆生の迷夢を覚ますといいます。
山伏行列の儀式用法具で、山伏問答の際に使用します。

檜扇(ひおうぎ)

檜の薄板で作られた扇で、火が燃えるさまを表す三角形の形をしていることから「火扇」ともいいます。
護摩の火をあおぐ際に使用し、不動の火勢を送ることを意味します。

八ツ目草鞋(やつめわらじ)

草鞋の耳を8箇所に作り、行者はいつも仏界にあり、八葉の蓮華座に乗っていることを表しています。

五鈷杵(ごこしょ)/五鈷鈴(ごこれい)

両端、もしくは片側に鈷の突起をつくり、その鋭さで煩悩を打ち破り,菩提心をあらわすための法具です。

手甲(てっこう)/脚絆(きゃはん)

山中で手やすねを守るために装備します。昔は季節や道順の相違により、色や形が異なる脚絆がありました。

大峰奥駈道
おおみねおくがけみち

聖護院では秋の峰入り修行として、毎年九月に大峰奥駈修行が行われます。

大峰奥駈道は奈良県から和歌山県にかけての、金峰(吉野、山上)〜弥山〜深仙〜熊野(本宮)の急峻な山脈をつなぐ修行の道であり、役行者が開いたと伝承されています。

ここには靡八丁斧不入(なびきはっちょうおのいれず)という言葉が伝えられています。奥駈道の左右八丁(左右それぞれ約800メートル)は神仏の世界である故に特に伐採してはならないと定めたもので、自然保護の原型とも言えるこの掟があったため、山林開発を逃れた原生林が残り、昭和11年には国立公園となりました。大峰山には「間違えて斧を入れてしまって申し訳ありません」と謝罪する旨の石碑も残っています。

葛城修験
かつらぎしゅげん

大峰奥駈道と並ぶ修験の行場が、大阪と和歌山の府県境を東西に走る和泉山脈、大阪と奈良の府県境に南北に聳える金剛山地の峰々一帯からなる葛城山脈です。修験道の開祖である役行者が法華経二十八品を各地の経塚(きょうづか)に埋納し、山脈を修験道場として開かれました。
聖護院では春の峰入り修行として毎年四月に修行を行うほか、他の修験宗派も葛城を重要な修行場と定めています。
こうした修験の聖地としての歴史と文化は、令和二年六月に「葛城修験」の名で日本遺産として認定されました。

聖護院門跡第五十二世 宮城泰年は、六十年以上に亘り葛城の峰々を調査。そして江戸期以降所在不明となっていた経塚の全てを再確認しましたが、未だに新たな遺跡の発見がある神秘の山でもあります。

共に修行をしたいあなたへ

宗教の世界に入ったら……
「一度入ったら抜けられない」
「抜けてもええけど、何が起こるかわからへんでぇー」

などと脅しとも取れる言葉の鎖で、がんじがらめにされ、苦しんでいる人を良くみかけます。
私達は真面目に修験の道を志す人には「来るもの拒まず。去るもの追わず」の姿勢でみなさんに接しています。大事なキーワードは、「信仰とは束縛ではない」と理解してください。
修行とは、”毎日の生活が則ち人格向上の為の修行である”ということに気づき行動する事です。修験道の世界は年令性別、老若男女を問わずだれでも門をたたくことができます。
私達の修行に参加・見学したい方は年中行事のコーナーに聖護院の行事や修行を紹介しています。まずはそこから参加・見学してみれば如何でしょう。